新たな一歩

2014.12.15 Monday 17:01

先日、ブラッドピットが主演している「フューリー」を見た。
そのチケット代が1800円。
今、来日している「ボストン美術館のミレー展」の入館料が1600円。
一昨年4年生といった卒業旅行で寄った沖縄の美ら海水族館だと1850円。

中大混声のメサイアは自由席1500円、指定席2500円なので、指定席を買ったお客様は上に挙げた催し物のどれよりも高い買い物をしたことになる。
中大混声の広報からの報告によると、メサイアのチケットはとうに完売で、キャンセル待ちを希望するお客さんが後を絶たず、先日キャンセルで返ってきたチケットをすべて割り当て、今ではこれから返ってくるチケットがあった場合のみ当日券として販売するという。
チケットぴあに預けていたチケットもほぼ完売というが、少なくとも私の知る一般大学のアマチュアのコンサートでは非常に稀なことだと思う。
こういった大学の、音楽団体のチケットの購買者のほとんどは、団員の友人や家族、その団のOBOG、それに加えて他大学との間で行われているチケット交換で入場される方がほとんどで、チケットぴあなどで一般の音楽ファンが購入されることは1枚、もしくは0枚ということも決して珍しくない。

これほどのお客様に恵まれた大学の合唱団が他にあるだろうか?
ただ、私の中にはこの団の演奏会を引き受けて以来、この入場料についてこの団体の演奏にそれほどの価値があるのだろうかという罪悪感が常にあった。そして折につけ学生やスタッフにもそのことは話してきた。
プロのソリストやオーケストラが出演しているのであるのだから、と無理やり自分を納得させてきたが、肝心の合唱団がこれらの価値に見合う演奏ができないのに、この入場料をお客様から頂くことには抵抗があった。

27年間続けてきてなぜか今年、この罪悪感が初めて自分の中から消えた。
もちろん、今でもプロや音大生のような技術を持っているわけではない。それどころか全国大会で金賞をもらうような中高の合唱団と比べても、数分の課題曲を長い時間をかけ何度も何度も繰り返し練習して練り上げた彼らのクオリティにすら及ばない。

メサイアは、第一部「預言と降誕」、第二部「受難と復活、そして弟子たちによる伝導」、第三部「永遠の命」の三部構成で、バビロン捕囚や律法主義、生涯その律法主義と闘い、神の本当の愛を説いたイエスキリストの姿、そして彼が残した福音を描いた作品である。

そもそも高校までクラシック音楽とも無縁で、合唱経験すら少ない者が大多数を占める中大混声の部員が、こんな短期間にどこまでこれらの作品に近づけるのか?
自分たちの一生懸命やった成果を聞いてもらう「発表会」ではなく、作品そのものを楽しんでもらう「演奏会」なぞ、到底無理なことだとずっと思い悩んできた。
しかし、大学生だからこそ持っているひたむきさや純粋さ、また、アマチュアの団体だからこそできる利権に縛られない活動、また、音大のように正規に定められている授業ではなく、自主的に集まった集団であること。これらの武器を活かせば一アマチュアの音楽団体でも「演奏会」ができる可能性があることを今の学生からは垣間見ることが出来る。もちろんこれは今突然出来上がったものではなく、27年間の失敗と経験の蓄積によるものであるのだろうが。
そしてこの成果は今週の水曜日から始まるオーケストラも加わっての日曜までの練習にかかっている。


人が、特に若者が、目標に向かって結果を求めひたむきに努力している姿には、胸を打たれるものがある。
また、これに取り組む者も分かりやすい目標が目の前にあることでモチベーションを保つことが出来る。
しかし、中大混声がこの活動形態を続けている限り、「金賞、中央大学混声合唱団」「万歳!」などといった達成感は、残念ながらこれから先も決して味わうことはできないだろう。
我々が取り組んでいる「メサイア」や「ロ短調ミサ」といった偉大な作品には、どこまでやってもたどり着くことのできない奥深さがあるからだ。
音楽家を志してからもう30年が過ぎるが、私にとっては、あまりにも大きな存在であり畏敬の念を抱くことのできる音楽と共に生きることこそが、何にも代えられない喜びなのだと思う。


仮に練習がうまくいき、今目指す理想が実現したとしても、それは恐ろしく先の長い階段の「新たな一歩」を踏み出したに過ぎない。